東寺と西寺跡

昨日、東寺の「終い弘法」に行ったので、ついでに いつかは行きたいと思っていた「西寺跡」に行ってきました。

同じく関連のある「羅城門」は10月の「弘法さん」の時に行きましたので今回は省略。

粉雪のちらちら舞う中をひとりトボトボと・・・じゃなく 颯爽と(?)歩きました。
東寺の西門を出て まっすぐ西に向かって歩くこと15分位(私 いつもかなりの早足なもので多分それくらい)。
バス停3つくらいかしら・・・?

やっと「西寺前」というバス停を見つけました。
画像
私の頭の中にある「西寺跡」が見えてくるはずなのに 見渡しても何処にもありません。

キョロキョロ見回したらバス停前の マンションの前にこんな説明書きを見つけました。
画像

説明書きの文字が小さくて見えにくいのですが概略は(拡大可)
「昭和61年の発掘調査で、礎石建物跡2棟・築地跡・井戸跡などが検出され、東西方向の築地跡は東へ延長すると東寺北辺の築地塀と一致。この調査によって西寺跡の寺域は、現存している東寺とほぼ同様の規模を有するものであった事があきらかとなった。」

要するに 規模としては 東寺と同じくらいの広さだったということがはっきりしたという事です。

で、肝心の「西寺跡」は近くに居られた方にお聞きしました。ご近所の方って意外とご存じないようです。
少し南に行ったところに公園があるから多分そこでしょう・・・と言うことで南に進みました。

すぐわかりました。公園といっても遊具はありません。広場といったほうがいいかも。真ん中に土塁がありました。
画像
画像

早速その土塁の上に登りました。 ありました~~~「西寺跡」が。  そして礎石もあちこちに。
画像
画像





公園の入り口には立て札が立ってました。(拡大可)
画像
立て札には
西寺は、平安京が遷都されてからのすぐ延暦15年(796)頃から、平安京の入り口にあたる羅城門の西側に東寺と対称に造営された官寺である。金堂、講堂を中心として南大門、中門、五重塔、僧坊、食堂など主要な建物が建ち並び国家の寺として隆盛を誇っていたが、西寺は東寺に比べて早くから衰え、天福元年(1233)には塔も焼失、以降は再興されることなく地中に埋もれてしまった。(概略)

公園の中央にある土塁が講堂の跡だそうです。


そういえば 言葉遊び歌の最後は  ♪丸竹夷♪では・・・・・・・・九条東寺で とどめさす
                      ♪一条戻り橋♪では・・・・・九条 羅生門に東寺の塔

どちらも東寺ばかりで西寺は歌われてないですね!

画像
この日面白く思ったのは 私と似たような人がおられるもんだと・・・・。
こんな小雪が舞う寒い日なのにカメラを抱えた男性が同じ様に写真を撮ってられるのです。

思わず笑えてきました。
世の中いろんな人がおられるものだと・・・・

"東寺と西寺跡" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント